第25号(平成27年6月号)
明治産業革命遺産の世界遺産登録申請
ユネスコの諮問機関、イコモス(国際記念物遺跡会議)が、去る5月4日、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録申請について、「登録がふさわしい旨」を勧告しました。6月末からドイツで開催される世界遺産委員会で正式審議されますが、登録されれば、岩見銀山、富岡製糸場に続く産業遺産の世界遺産登録です。
今回申請されている二十三施設のうち、静岡県伊豆の国市韮山の反射炉、山口県萩市の反射炉、鹿児島市の旧集成館の工場群のひとつ反射炉跡、岩手県釜石市の橋野高炉跡など溶鉱炉が目を引きます。幕末、日本には、米、露、英など欧米列強が開国を迫って押しかけてきました。それら諸国に対抗するため幕府、薩摩藩、長州藩だけでなく佐賀藩、水戸藩、鳥取藩などでも反射炉が建設されたそうです。
十九世紀、欧米の強国がアジアに進出、植民地化を進めていた時代です。今回の世界遺産申請に対して、海外などからいろいろな声もありますが、そのような時代に、重工業を中心とする殖産興業は、日本の独立国としての生き残りをかけた唯一の選択肢だったのです。十八世紀半ばから十九世紀にかけてイギリスに端を発した産業革命による工業化、先進技術の取得を、日本は四十年ほどの間にほぼ完ぺきに成し遂げることに成功しました。
今から500年前の大航海時代、日本では戦国時代にスペイン、ポルトガルなどから、アジア、アフリカ諸国を巡りながら極東の日本にやってきたフランシスコ・ザビエルをはじめとするカトリックの宣教師達は、地球の裏側に来たらヨーロッパに勝るとも劣らない文明国があったと、ローマ法王庁に報告したそうです。
地震、火山、台風。災害国と言われる日本ですが、「艱難は忍耐を生み、忍耐は練られた品性を生み、練られた品性は希望を生む」。私も微力ながら今回の世界遺産登録申請の一端を担わせていただきましたが、誇りをもって世界遺産登録決定を待ちたいものです。
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