「高齢」という年齢の垣根を取り払い、高齢者がいつまでも元気で働き、学び、社会貢献できる社会を創りたい。
日本の21世紀は、少子高齢社会です。21世紀半ばまでには、日本の人口は1億人まで減少し、一方、65 才以上高齢者は3000万人に達すると推計されています。しかし、高齢社会は、同時に長寿社会です。日本人の平均余命は、女性 が83才、男性76才。世界がうらやむ長寿国です。定年で仕事を退いた後も、なお20年、30年の人生が私たちにはあります。それは、決して「余生」、"余りの人生"などではありません。
長い人生で積み上げてきた実績、経験を生かして、仕事に、学びに そして 新たな分野やボランティア活動にチャレンジし 、人生をさらに豊かなものとするための大切な時間です。高齢者の更なる挑戦を支援し、健康で豊かな長寿社会 、Age free 社会を私は創り上げたいと思います。
「目が見えない、耳が聞こえない、口がきけない場合、医師や薬剤師、看護婦の免許を交付しない」、このような心身に障害を持った方々に対する資格免許に関する欠格条項が今国会で見直しされ、平成13年、通常国会に、「障害者等に係る欠格事由の適正化等を図るための医師法等の関係法令改正案」が提出され、承認されました。
しかし、心身に障害を持った方々に対するバリアは、実は法律的なバリアだけではありません。法律的バリア (制度的バリア)に加え、構造的バリア、社会的バリア、そして精神的バリアの4つのバリアを解決しなければなりません。例えば、今回の法律改正により、制度的なバリアの多くは解消されることになりましょう。しかし、医師や薬剤師になりたい、と考える目や耳の不自由な方々は大勢おられます。そうした人々に対する大学の医学部や薬学部の受け入れ体制は十分にできているのでしょうか。大学の講義は不便なく受講することができるのでしょうか。点字や手話の専門用語は整備されているのでしょうか。社会の受け入れ体制はどうでしょう。耳や目の不自由な医師や薬剤師が十分にその力を発揮できる職場の受け入れ体制はできているでしょう か。
高齢者や障害を持った方々に対する建物、施設、設備、道路、メディア等の整備はまだまだ十分とはいえません。そして、私たちの心の受け入れ体制は、どうでしょう。ある耳の不自由な方がいわれました。「耳が聞こえないというだけで、仕事の能力が劣るかのように思われています」と。私たちは、自分ではそんなつもりはなくても、不必要な偏見を持ったり、結果的に差別してしまっていたりしていることがあるのではないでしょうか。心身に悩みを持つ人々に対する制度的、社会的、構造的そして精神的バリアをなくし、バリアフリーの社会を構築したい、と私は考えます。
近年、日本では覚醒剤の乱用が高校生にも及ぶなど社会問題化しています。麻薬、覚醒剤だけでなく、シンナーや鎮痛剤、睡眠剤など多くの薬物が、乱用の対象となります。医療機関から医療用の向精神薬が盗まれる等の事件もしばしば発生しています。合法ドラッグなどの言葉が青少年向け週刊誌に登場しています。米国ではこれまでに3000億ドルもの国家予算が麻薬対策に費消されたと伝えられています。グローバル化の波は、国際的な社会、経済、文化の交流を活発化させていますが、麻薬、覚醒剤の不正輸入も増加し、薬物乱用もまた国際化しつつあります。
私は厚生労働省時代、麻薬課長でした。日本の薬物乱用問題対策に直接係わり、また、国連などの国際的な麻薬会議にも出席し、諸外国の麻薬対策担当者との話し合いする機会も持ちました。ミャンマー・ラオス・カンボジア国境の魔のトライアングルと呼ばれるケシ栽培地域にも行ってみました。薬物乱用の悲惨さ、残酷さをこの目で、耳で確認してきました。それだけに、私は、薬物乱用問題に対し、人一倍関心を持ち、また、この問題への対応は私のライフワークと感じています。青少年を蝕み、人生を破滅させる薬物乱用のない社会、ドラッグフリー社会を創り上げ、若者が薬物などに依存することのない、夢を持つことのできる社会創りに邁進したいと考えています。