第22号(平成26年9月号)
「健康第一」 (株)ウチダ和漢薬 医薬渉外グループ 高田省一郎
5歳の時、福島県小名浜に疎開していました。米軍の艦砲射撃が始まり海辺の旅館から、山間の農家に避難しました。農家の馬小屋、釣瓶井戸、庭先にあったトイレ、そして山の大自然に接し、子供心に強烈なカルチャーショックを受けました。
敗戦となり日本橋本町に戻りました。焼野原から富士山がよくみえました。実家は、丸剤、錠剤の加工をしておりました。父は戦後すぐアメリカ人との関係から、ホメオパシーの錠剤を製造していました。小学生の頃、ロータリー打錠機から、高速で錠剤が出てくるのに驚きました。
50年前薬学校を出て、本町の製薬会社にプロパーとして入社し、都立病院を担当しました。その後、実家に入り家業を手伝いました。
当時一般薬の承認書は、縦書きでした。一変承認のため旧厚生省の薄暗い建物でご指導を受けました。その頃、厚生省は医薬品製造についてGMPを制度化するため、メーカーの工場に立ち入り調査に入っていました。そしてなんと神田に会った私の町工場まで調査に来ました。大企業から零細企業まで調査し、GMPのハードとソフト両面で実施について考慮していたのでしょう。
その後承継制度も緩和されたこともあり、家業を取引先の生薬・漢方薬のウチダ和漢薬に承継して、現在に至っています。
顧みれば私の薬業人生は、戦後厚生省が、時代に即応して実施してきた政策に沿う様に成立してきました。「もとゆき会」に入会し厚労省の先輩の方々の中に、私が大変お世話になった方もおられ感謝している次第です。
さて話題をかえて皆さん「マスターズ水泳」をご存知ですか?年齢を5歳ごとに区切りタイムを競います。競技大会も全国で開催されています。
初めて参加した時、プールの大きな電光掲示板に自分の名前、コース順、タイム、着順が瞬時に示され感激したものです。4人のリレーは280歳区分で出場し、成績に一喜一憂しながら楽しんでいます。
今年も7月中旬のジャパンマスターズ100m平泳ぎに出場しました。目標タイムに届き達成感がありました。普段は毎週4000mから6000m泳いでいます。我チームは30歳から75歳までの老若男女が裸の付き合いですから、和気あいあいの雰囲気です。試合後の反省会では、若い人から「酒飲む時のほうが元気ですね」と冷やかされています。水泳は健康で明るい人生を楽しむ生涯スポーツです。今後もマイペースで「健康第一」を目標に泳ぎ続けたいと思います。
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