第32号(平成29年4月号)
ゆとり教育賛成派
もとゆき会幹事 北山 信
「誰もが大学で学べる社会にして」との投稿が最近の朝日新聞に掲載された。投稿氏の論旨は、「大学を卒業すれば、ホワイトカラーとして就職でき、年功序列と終身雇用に守られて、安定した生活が営める。本人が望めば、誰でも大学に入り学べる社会にすべきだ」と言うものだ。こういう論調を最近多く聞く。ゆとり教育的視点から、この問題にアプローチしてみたい。
2000年頃、「数学のできない経済学部の学生がいる。これはゆとり教育の結果だ」等の主張が幅をきかせ、2010年代、ゆとり教育はつぶされた。「学力低下」と言われているが、5年に一度、世界的に展開される数学コンテストでの日本の成績は、年度のばらつきは有るものの、下がっているとは言えない。むしろ先進国グループ内では、毎回トップと言ってよい。しかるに「経済学部・・・」の言も又、真実である。
失敗学で著名な工学院大学の畑村教授は、学力低下に関して二点指摘されている。一つは、大学入試科目数の減少、二つは大学進学率の上昇、である。
歴史を学んでいない理科系の人が、世界へ行って議論はできない。昼間はともかく、夜、酒を飲みながら腹を割って話すとき、歴史を語れぬ技術馬鹿は、相手にしてもらえない。受験科目数は多数であるだけ、国際的に通用する人が育つ。大事なことは、学生が本当にやりたいことをきちんと見つけられるようにすべきである。大学への進学率は2010年頃で約60%であり、1960年台の約3倍になっている。しかもこの間一貫して、少子化の傾向を深めてきており、各世代の学力水準が同じとしても、大学生全体の平均値が下がるのは当然である。
長島茂雄氏は、ゆとり時間を野球にかけた。20才の若者教育の多様化について論議を深めるべきである。メーカーでエンジニアとして働き、社会に貢献したいと考える人は、高校で、liberal arts(世界史等)をしっかり学び、工学校(大学と言うよりも・・・絵画の道へ進むなら美術学校)にて専門領域を深めることが、中・高等教育の理念であるべきであろう。大学全入の結果の一つとして、現在高卒生が従事しているブルーカラー層も大卒生が担わなくてはならなくなることを投稿氏は許容するのだろうか。
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