HOMEへ戻る
参議院議員藤井基之からのメッセージ
参議院議員藤井基之のプロフィール
参議院議員藤井基之の政策
会長挨拶
会長挨拶  
会長挨拶
もとゆき会の活動報告
広報資料
もとゆきライブラリー>かわら版会員投稿集

第36号(平成30年8月号)

岩本町、歴史の漂う街

もとゆき会会員(公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団 理事長)柳輝夫

東京都千代田区岩本町二丁目、水天宮通りに面した地に公益財団法人 ヒューマンサイエンス振興財団(以下HS財団)の事務所はあります。神田お玉が池、北辰一刀流の開祖・千葉周作の道場玄武館があったところ、東京大学医学部の前進であるお玉が池種痘所発祥の地でもあるのです。一方、この界隈には江戸時代後期から幕末にかけて儒学者や漢学者等多くの文人が住み、学問の中心地、即ち文人墨客の街でもあったとのことです。但し、お玉が池と呼ばれた辺りがどこであったかということはほとんど分かっていないようです。

ところで、HS財団は昭和61年春に設立され、既に32年の歴史が刻まれました。当時厚生省の藤井基之先生が設立に大いにご尽力され、その後も平成9年から3年間に亘りHS財団で専務理事としてご活躍されたことは皆様ご承知の通りです。なお、HS財団の事務所は設立から平成23年まで小伝馬町に置かれておりましたが、諸般の事情によりその後、岩本町二丁目に移り、現在に至っております。

さらに、平成25年度からは公益財団法人として新たに出発し、弊財団の目的と使命である「医薬品、医療・福祉機器、保健衛生等に関連する先端的・基盤的科学技術の振興ならびに人類の健康と福祉への寄与」そして「事業活動の成果の会員さらには広く国民への還元」を目指して健全な運営・活動のために日々努めております。

話題を神田お玉が池に戻しましょう。

「神田お玉が池の千葉周作道場」という表現に馴染んでいらっしゃる方も多いと思います。神田お玉が池は上野の不忍池よりも大きかったようですが、江戸時代後期に神田山(駿河台)を削って埋め、住宅地となり、一気に新しい施設や住居が建設されたそうです。最初は桜が池と呼ばれていたそうですが、池の辺にあった茶店のお玉という女性が池に身を投げたという古事からお玉が池と呼ばれるようになったということです。そして、その地に、幕末の三大道場の一つとされる千葉周作の道場玄武館があったのです。

また、近くには「お玉が池種痘所」の碑がありますが、安政5年(1858年)、蘭学者伊東玄朴ら82名が共同出資して創設されたもので、東京大学医学部の前身とされています。この界隈には、お玉が池とそこで暮らした人々を偲ぶ記念碑が数多く建てられています。 皆様がこの界隈を訪問される機会には、上述のような歴史を偲びながらこの地を歩いていただくことをお勧めいたします。

《紹介した場所の最寄り駅》
岩本町[都営地下鉄新宿線]、小伝馬町[東京メトロ日比谷線]、神田[JR中央線・山手線・京浜東北線]あるいは秋葉原[JR山手線・京浜東北線・総武線・つくばエクスプレス線・東京メトロ日比谷線]で徒歩5分〜10分の距離です。